関鍛冶惣領事兼常

関鍛冶惣領事兼常は、室町時代後期、美濃国(現在の岐阜県中南部)の刀工。 和泉守兼定(之定)、関孫六兼元に並ぶ美濃伝の名工。 織田信長が、美濃斎藤氏の居城稲葉山に侵攻制圧した永禄十年(1567年)頃には関七流の関鍛冶束ねており、元亀二年(1571年)、織田信長より関鍛冶惣領事に任命された。小牧長久手の戦では徳川家康の求めに応じ槍百筋を鍛えた。初代兼常は、「大和伝千手院派」の流れを汲み、応永年間(1394年~1428年)に美濃に移住し、関七流の奈良派と称された。以後、兼常は、室町時代に数代続き、その名跡は新刀期(江戸時代)まで伝承された。銘は、濃州関住兼常と切る。

代表作

刀 名物 銘 茎切付銘「竹中重治所持」個人蔵 京都伊井美術館寄託 伝来 豊臣秀吉→竹中半兵衛→山内一豊(土佐山内家)→京都国立博物館→個人蔵

短刀 特別保存刀剣 銘 濃州関住兼常

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