天然理心流

幕末期において京都の治安を守っていた剣術「天然理心流(てんねんりしんりゅう)」。
実直かつ肝の座った豪傑、新選組局長の近藤勇(こんどういさみ)は、幼いころ自宅を賊に襲われたそうです。
その時賊に立ち向かおうとした兄たちを制止し、賊が仕事を終えて落ち着いたころに斬りかかり、賊を追い払ったと言われており、この話を聞きつけた天然理心流三代目によって養子入り、試衛館道場へ入塾を果たしました。文久三年、試衛館のメンバーは浪士組に入隊、内部闘争の後に近藤勇を局長とする新選組を確立しました。日本刀を携えたその姿が写真に収められており、しばしば歴史書やテレビで見かけますが、その気合の入った様はとても印象的です。

鬼の副長と名高い、土方歳三(ひじかたとしぞう)。十代の頃には、行商をしつつ各地の道場を渡り手合わせをしていたと言われています。後に近藤勇と出会った土方は、天然理心流に入門し、生涯を近藤勇の片腕として過ごしました。新選組にまつわる話でも有名なのが、規律を破った者が切腹させられるという厳格なルール。このことから、土方は鬼の副長として恐れられていました。彼は女性から人気のある色男で、よく見る写真の姿は洋服に日本刀、やや長髪のオールバック風です。

新選組一番隊隊長といえば沖田総司(おきたそうじ)。彼は9歳の頃から試衛館の内弟子となり、若くして塾頭となりました。新選組一番の剣の使い手とも言われています。
池田屋事件では先陣を切るものの、病に倒れ、以降は前線に立つこともなく療養生活が続いたとされます。近藤勇の斬首刑の後に、肺結核にて死去しました。