昔ながらの刀剣商の店

若い年代に刀剣ファンが増えたということもあり、令和の時代では入りやすい刀剣の店も増えたそうです。しかし元々は非常に閉鎖的な世界だったと言われています。店の商品というと、普通は売り物をディスプレイとして並べて、分かりやすく値段をつけます。しかし当時は良い刀は店頭に出すことなく、見えないようにしまわれていたそうです。客がくると主人が出てきて、対応します。軽い世間話などをしながら、客の予算や買いたいもの、常連客になるかどうかなどを値踏みしているのです。イメージが悪いと思われるかもしれませんが、江戸時代から続いている商法になっています。もし相手がお金を持っていて馴染みの客になりそうであれば良い刀を出してきて、そうでなければ質の悪い刀を売りつけたそうです。もちろん全てがそうではないですが、珍しいことではなかったと言います。

安土桃山時代・江戸時代の名工とは

日本刀は、日本の歴史的な武器として名高いですが、時代ごとに多くの刀工たちが日本刀を作ってきました。その中でも特に優れた刀を作る刀工のことを名工と呼び、今も彼ら彼女らの作品は傑作として残っています。では、安土桃山時代・江戸時代には、どのような名工がいたのでしょうか。
まず、安土桃山時代においては、織田信長が全国統一を成し遂げようとし、あと一歩のところで亡くなったところを、豊臣秀吉が遺志をついで、全国統一を果たした、という時代です。戦に鉄砲が使われ始めた時代でもありましたが、それでも名工はいました。たとえば、堀川国広や埋忠明寿、それから伊賀守金道です。
江戸時代は争いが少なくなりましたが、それでも刀の需要はなくなりませんでした。なぜなら、町人や農民が、帯刀できるようになったためです。そのため、越前康継、長曽根虎徹、井上真改などの名工が生まれることとなりました。
そのような時代を経て、今の時代にも傑作が残っているのです。

美濃伝とは

漫画、それからアニメによって、その魅力を知られている日本刀ですが、その作り方には様々なものがあります。インターネットのない時代においては、地域ごとに刀の作り方が異なったからです。その中でも、五箇伝は代表的な五つの流派であり、その中には美濃伝というものがあります。

では、どのような流派なのでしょうか。
美濃伝は、志津三郎兼氏と、金重という有名な二人の刀鍛冶が、美濃国に移住したことで、作り上げられた流派です。この二人の刀鍛冶は、正宗という、非常に有名な刀鍛冶の弟子でした。

美濃では、非常に速い速度で美濃伝が作られていきました。なぜなら、美濃には強い武将がたくさんいたからです。彼らは美しさよりも実用性を求めており、それが美濃伝が作る実用的で、頑丈で、切れ味の良い刀に合っていました。
美濃伝はどんどん広まっていき、非常にたくさんの武士が、その刀を使うようになりました。
ぜひ美濃伝について知り、日本刀を楽しみましょう。

刀装具の素材

日本刀はその素材が特徴的で、素材によって機能性と美術性が高められていると言っても過言ではないです。
日本刀の刀身は、玉鋼という非常に純度の高い鉄でできています。また、刀身だけでなく、鍔やはばきにも、金属が使われています。日本刀を安全に使うためには、それらの部品が欠かせないのです。それらには、赤銅や四分一、真鍮などがよく用いられました。
さらに、日本刀の柄には、木地の上に鮫皮という、名前はサメですが、エイの皮という、ややこしい天然素材がよく巻かれています。日本刀の強度を高めるために欠かせないためです。
ほかにも、目貫や茎には、金属が用いられました。非常に美術性が高い部分であるため、職人の技術が活かされる部分です。
また、特別な刀には、普通金属を用いられる部分に、天然素材が用いられたりしています。

弓とは

弓という武器を知っている方はたくさんいますが、具体的にどのようなものか知っている方は少ないです。この文章では、弓の歴史や構造を解説していきます。
弓は、木、竹などの植物の弾性力を利用して、遠いところにいる対象を矢で射るために開発された道具です。

弓は弓幹と弦を組み合わせて作られています。
弓は様々な歴史があり、その歴史によって、使用目的も異なります。縄文時代においては、狩猟のために使われていました。漆を塗った弓に、黒曜石の鏃で、獣を狩っていたと言われています。

時代が流れ、弓は武器として使われるようになりました。農耕が始まり、貧富の差が生じたことで、戦争が起きるようになったからです。
また、日本では、弓は儀式的に使われることもあります。

那須与一の伝説にも見て取れる通り、遠い場所にあるものをその場から射るという行為には、非日常的な神聖な雰囲気があったのです。
今はゲームでよく見る弓ですが、昔は身近なものとして存在していたのです。

棟区・刃区とは日本刀の部位について

棟区・刃区とはそれぞれ、むねまち・はまちと読み、棟区は峰区ともいい、刀身のいわゆる峰側にある区を指します。
区とは刀身の刃側、棟側がなかごに向かってくぼんでいる部位のことで、柄に収まる茎と刀身の区から鋒に掛けての境界線です。
棟区は他の部位に比べると地味であまり注目を集めませんが、逆に知っていると日本刀の鑑賞がより楽しめるようになるはずです。
ただ、棟区ははばきによって隠れてしまう部位でもあるので、美術館や博物館で展示されていても必ず見られるとは限らないです。
それだけある意味鑑賞できる機会が貴重な部位なので、見ることができればラッキーですし、チャンスがあってじっくりと見ないのはむしろ勿体ないといえるでしょう。

骨喰藤四郎とは

「骨喰藤四郎」は鎌倉時代の刀匠粟田口藤四郎吉光の作といわれている。藤四郎吉光は、山城国粟田口派のなかで最も名高い刀匠である。特に短刀の作には刮目すべき傑物が多い。名の「骨喰」の由来には諸説あるが、「享保名物帳」には、斬る真似をしただけで相手の骨を砕いたと書かれている。また、徳川将軍家の刀剣目録には、斬る真似をされるだけで骨を縫い綴ったような痛みがあるとも書かれている。刀身に彫られている彫物が見事な出来映えである。指表には倶利伽羅剣に龍が纏いつく倶利伽羅龍の絵柄、倶利伽羅剣の柄は三鈷杵のデザインとなっている。指裏には不動明王と毘沙門天を表す梵字が彫られている。これは所有者が不動明王と毘沙門天の庇護が得られるようにとの願いが込められている。もとは薙刀だったが磨り上げて太刀に造りかえられた。

日本刀は鋭利で、強靭な切れ味が特徴です

日本刀は伝統的な技術を持った職人が丁寧に製造をしているので、高級感があり装飾性の高いデザインが魅力です。
日本刀は美しさから骨董品、美術品としても人気が高いですが、その切れ味は折れず曲がらず、よく切れると表現されています。
日本刀の素晴らしさは武器としての、鋭利さ、強靭さなどを備えているので古くから愛好家が多いです。
日本刀には太刀や脇差、短刀などの種類がありますが、刃のそりが大きく、鋭利さと強靭さを兼ね備えている太刀は素晴らしいと感じることが多くあります。
日本刀に関心を持っている人はインターネットの専門店を利用してみると良いでしょう。
仕事や家事、育児などの合間を利用して、日本の刀の魅力を堪能することができます。

日本刀の理解を深める上で不可欠な部位

日本刀は美術品、あるいは骨董品として評価されているだけでなく、熟語などの形でも日本の文化に浸透しています。
ところが、意外にも日本刀に関することとなると、詳しく知っている人ばかりではないのも確かです。
日本刀は、柄という持ち手の部分を取ると現れる中心部分にある、作者の名前が記されている銘が代表的な部位として有名です。
タガネで名前を入れることから、銘を切ると表現されます。
一方、刀の先端部分は切先と呼び、刃文を帽子といいます。
柄を固定する部分は目くぎ穴で、柄を付け替える際などに開け直されることもあります。
刃はまさに日本刀の顔ともいえるもので、美しさが世界的に認められていますし、刃の上に落ちた小豆が真っ二つに切れた由来が名前の日本刀も存在することから切れ味もトップクラスです。

来国行とは?刀は購入が出来るか?

来国行は鎌倉時代中期以降の刀工で、来派の事実上の祖とされています。国行によって作られた作品は、国宝や重要文化財にもなっているものもある程です。国行の作品はほぼ制作年紀が無いので、具体的な年代情報がありません。通説では康元頃に活躍したとされていて、その子供とされる二字国俊は弘安元年(1278年)の年紀を添えているので康元の時代説は間違い無いだろうとされています。

来国行の作品は、現代でも専門店やオークションで販売されていることもあるのが特徴で、専門店では外国人向けに英語のネットショップを展開しているところもあるので海外からの購入も比較的容易です。現存作品の中でも特に多いのは太刀ですが、まめにチェックするなら刀も販売されている事もあります。