神道無念流

幕末期において数々の烈士を輩出した神道無念流(しんとうむねんりゅう)練兵館(れんぺいかん)、竹刀剣術が全盛の時代にあって、突きや体当たり、投げ技などの荒技を推奨し、強烈かつ凄絶な稽古を展開したとされています。歴史的な背景の後に、根岸信五郎が構えた有信館、後にこれを継承した中山博道は、本郷真砂町に有信館を移転したのち、全国各地に支部道場を開設しました。しかしながら、太平洋戦争の終局と同時に有信館は人手に渡り、歴史の舞台からは姿を消しました。近年その有信館道場は復活を遂げ、近代を代表する名門道場として名を馳せています。

新選組二番隊隊長、永倉新八。幼いころから剣術に励み、岡田十松の神道無念流に入門、15歳にして免許皆伝を果たしました。修行の日々を送り、町道場で師範を務めるなど、大の剣術好きであった彼は、後に近藤勇と出会い、浪士組に入隊します。池田屋事件においては、先述の藤堂平八と共に先陣を切ったうちの一人として有名。

長州藩の桂小五郎、彼も言わずと知れた剣士であり、神道無念流を極めた達人級の人物です。生来病弱であり桂家に養子となった小五郎は、その後無事に育ち、柳生新陰流の内藤作兵衛の道場に入門。神道無念流の開祖である斎藤弥九郎の長男である斎藤新太郎に憧れ、後に練兵館へ通い始めました。上段の構えを得意とした彼は、入塾一年にして免許皆伝、塾頭となりました。数々の歴史上の人物に達人とうたわれた桂小五郎でしたが、生涯人を斬ることも、日本刀(真剣)を振るうこともなかったと言われています。