試し斬りの廃止と、現代

日本刀の斬れ味を確かめるための試し斬りは、斬首された罪人の死体を扱うということもありましたし、罪人を処刑と試し斬りを兼ねて行うこともありました。辞世の句を詠むという人もいたようで、試し斬りの名手と呼ばれた人は、それらの人の気持ちを少しでも理解して仕事ができるようにと俳諧を学んでいたということもあったそうです。中でも山田浅右衛門家が家業として試し斬りを行っていたことで有名ですが、だんだんと試し斬りが難しくなってきました。法律として、刑死者の試し斬りが禁止されたのです。明治3年、1870年のことでした。その3年後には、死刑に使われるのは斬首刑ではなく絞首刑と正式に決められました。ここで山田浅右衛門家の長く続いた試し斬りの技は絶たれて、時代と共にその役目がなくなっていったそうです。しかし、明治30年頃になると、試し斬りの復活を願う集団が現れました。当然ながら人体の切断は禁止されているため、代用できるものを選んで試し斬りを行いました。特に牛や豚などが使用されていたようですが、中でも蘇鉄(ソテツ)を代用したとの記録が残っています。蘇鉄は常緑低木と呼ばれる低い木であり、日本に唯一自生しているという種類になります。この蘇鉄を斬った感触が、人体に近い感触があったと言われているのです。現代においては、専門で試し斬りの体験を行っている施設などで行うことが可能なようです。斬る物に関しては、まず畳表と呼ばれる、いわゆる「ござ」をひもや輪ゴムなどで止めて数日間水に浸しておきます。それを試斬台にある杭に立てることで、完成します。試し斬りでは袈裟斬りという、斜め40度ほどの角度をつけて、人間でいうと肩から腰の位置に向けて斬りつける方法が有名です。

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