北辰一刀流

江戸時代末期に乱立した剣術流派を代表するのが、名門「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」です。一時期、流祖が神格化され閉鎖的になってしまった剣術界において、それを一早く廃し、合理的かつ具体的な教えによって門戸を開放し、現代剣術の礎を築きました。

開祖である千葉周作は、現在でも畏怖の念をもって語られる希代の剣豪で、司馬遼太郎をはじめとして数多くの小説やドラマの題材となる人物です。

千葉周作は当時28歳にして日本橋品川町に北辰一刀流の看板を掲げ、玄武館道場を構えました。北辰一刀流という流派名については、千葉家家伝である「北辰夢想流」と「伊藤一刀斎」に由来しているとされています。

私たちに最も馴染みが深いと思われるのが、坂本龍馬。彼は北辰一刀流において免許皆伝し、真偽は定かでないが、桂小五郎との試合で片手上段の構えをとって勝利したとも語られています。一方で、坂本龍馬は弱かったとされる説もあり、本当の実力は定かではありません。いずれにせよ、坂本龍馬が剣術の稽古に熱心であったこと、免許皆伝したことは明らかなようです。

武蔵の国出身、新選組八番隊隊長として知られる藤堂平助。彼もまた北辰一刀流の門弟であったそうです。所説ありますが、新選組結成当初からのメンバーであり、剣の腕前は相当であったようです。
かの池田屋事件においても先陣を切った4人のうちの一人であり、その奮闘ぶりが語られています。後に藤堂平八は新選組を脱退し、追われる身となり、討ち死にを果たしたといわれています。