日本刀と財源

時の政府の財源は、時代が変わればその有様も変わります。今では考えられませんが、刀剣が重要な財源となった時代もありました。例えば室町時代、日本は世界に冠たる武器輸出国でした。日本刀は中国に高く評価され、当時の明王朝に向けて大量の日本刀が輸出されたのです。もちろん日本刀が評価され始めたのは室町時代以前に遡ります。平安時代には宋王朝が深い関心を寄せ、日本刀の美術的価値や切れ味に注目が集まっていました。宋の詩人として名高い欧陽脩は日本刀に関する歌を詠じ、その美しさを称揚したと言われています。古代には中国の刀剣の足下にも及ばなかった日本刀が、独自の発展を急速に遂げたことを意味するものと言えるでしょう。さはれ実用的な発展は室町時代以降を待たなければならず、裏を返せば室町時代の職人の技術が飛躍的に向上したと言えます。その甲斐あって中国人のイメージが「美しい日本刀」から「よく切れる日本刀」に変化し、輸出用の大量生産が実現したのでした。

日本刀は幕府のお金を生み出したわけですが、同時に武士の仕事も創出しました。戦国時代にあっては、武者修行することが処世術だったわけです。豪族から浪人に落ちぶれた人たちは一念発起して再就職を目指し、武芸の鍛錬に勤しみました。スキルアップして労働者としての自分を高く売ろうとする行為は、今も昔も変わらないものなのです。

その武芸の真価はと言えば「首取り」でした。合戦において日本刀は最初から活躍するわけではなく、現代人がイメージする白兵戦は稀だったとされています。実際軍忠状は弓矢や槍による負傷の説明に多くが割かれており、刀傷はほとんど見られません。

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